ワールドバザール

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20世紀初頭、古き良き時代のアメリカの街並み

 ディズニーランドの生みの親ウォルト・ディズニーは、1901年12月5日アメリカ・イリノイ州で生まれ、ミズーリ州のマーセリンという町で少年時代を過ごしました。ウォルト・ディズニーは、この思い出深い町、20世紀初頭のマーセリンの街並みをディズニーランドに再現しました。東京ディズニーランドのワールドバザールにもその精神が引き継がれています。

 20世紀初頭のアメリカは産業の大きな転換期でもありました。馬車から自動車へ、ガス灯から電灯へ、サイレント映画が登場したのもこの時代です。そんな活気に満ちた時代を再現したワールドバザールの景色は、日本人である私たちにも何故かどこか懐かしい気がしてなりません。


ワールドバザールと建築様式

 ワールドバザールを縦に伸びるメインストリート沿いの建物は、イギリスのビクトリア王朝時代の19世紀末から20世紀初頭のアメリカにかけて流行したビクトリア様式で建設されています。また、ワールドバザールの交差点をトゥモローランド側へ曲がった先のあたりはアールデコ調の建築様式を見ることができます。また、ワールドバザールからトゥモローランドへの出口の外壁には、草花をモチーフにしたアールヌーボーのレリーフが飾られています。

 また、ワールドバザールには建築様式のこだわり以外にもたくさんの見所があります。ご存知の方も多いと思いますが、ワールドバザールのメインストリートの道幅は一定ではありません。ワールドバザールの入口からシンデレラ城を見ることが出来る出口へ向かうに従って道幅が小さくなっています。これは、東京ディズニーランドに入園したゲストにシンデレラ城がより遠くにあるように見せる、目の錯覚を利用した遠近法です。また、ワールドバザールの建物1つ1つも、実は地上階から上の階に行くにしたがって外壁の石や窓が小さくなっています。これも建物が実際よりも高く見えるように行った遠近法です。ちなみに、この技法はシンデレラ城にも使われています。シンデレラ城の外壁の石をよく観察してみると、上に行くにしたがって石の大きさがどんどん小さくなっていることが分かります。


東京ディズニーランドの入口が1つしかない理由

 多くの遊園地や動物園には複数の入場口が設けられていますが、ディズニーランドには何故か1つ。年間2,000万人以上動員してるんだから、何ヶ所も設置してもいいじゃんと思いたくなるところ。でも、ここがウォルト流。ウォルト・ディズニーは、映画にはストーリーがあるように、テーマランドにもストーリーが必要だと考えたんです。アメリカ・カリフォルニア州の本家ディズニーランドを建設する際、スタッフから入場口を設けたらどうかという提案があったものの、ウォルト・ディズニーはかたくなに拒否したそうな。



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